toridori

日々雑多なことを書いています。

スコップを売る

ゴールドラッシュで一番儲けた人。

 

金を発掘した人?

金を売った人?

ではなくて

正解はスコップを売った人。

らしい。

らしい、というのは実際の統計や事実関係を自分で確認した

わけではないから。

それでもこの話はかなり有名だ。

肝腎かなめのところではなくて

「金」を掘るために使う「スコップ」という道具。

それを売った人が一番儲かったという説。

一瞬大げさなと思いつつ、

それでも指数関数的に増えていく「自分も儲けたい」という

人の心理。

意外と「スコップを売った人が一番儲けた」説は

真実かなと思った。

 

その説を現代の投資に活かす考え方も浸透している。

もしかしたら経済的な投資だけではなく

自分の自己投資にも当てはまるのかもしれない。

自分への投資だから

もちろん資質や興味、能力や時間などなど

制約はあるのだけれど

やみくもに資格を取るのではなくて

どんな技術を取得するのが一番「お得」なのか。

現代のスキルの「スコップ」。

もう少し自分の頭で考えなきゃなと思う今日この頃である。

 

 

過学習と応用と慣れ

「過学習」

最近知った言葉だ。

正確には生成AIパスポート試験の勉強のため読んでいた参考書

に出ていた言葉。

言葉通り

「学習し過ぎて逆に他のケースにうまく対応できなくなること」

という意味。

恐ろしい。これは決してAIの世界意外でも言える事だ。

むしろ人間の世界によくある話のように感じる。

 

例えば自分は緊張しやすいので、プレゼンなど大勢の前で話す時

にはかなり練習する。

異常かと我ながら思うくらい、練習する。

それでも不安でカラオケボックスでも練習したりする。

最後の方は30分くらいの内容をほぼ暗記してしまうくらいに仕上げる。

そして結果上手くいく事も多い。

それでも別の新たな事(プレゼンや発表)があると

また一からのスタートとなってしまう。

 

勉強の世界では「基礎」と「応用」という概念がある。

「応用」と少し考え方がずれているかもしれないのだけれど

「前回(のプレゼン)」ができたのだから

それの「応用」として「今回(新しいプレゼン)」もできるでしょ、

というのは自分としては「あり得ない」概念なのだ。

これは単なる自信の問題なのかもしれないけれど

「前回はあり得ないほど練習しなんとかやれた。

自信もついた。前回の内容であれば完璧にやれる自信はある。

でも新しい内容については別もの。全く自信なんてあり得ない。」

 

普通の人は成功体験を何度か重ねて苦手な事に対しても

少しづつ慣れていけるのかもしれないけれど、自分の場合は

残念ながら決して慣れる事はないのだ。慣れて、とか場数を踏んで

緊張しなくなる、とかは残念ながら自分の場合は夢のまた夢。

むしろ前回やれたし今度はアドリブでやってみようなんて

考えたら痛い目を見る事になる。

これまでの経験からそれは確信している。

 

全く同じプレゼンであれば前回よりは少しの練習でも良いと

思えるかもしれない。

だけど全く新しい内容であれば、前回同様の時間をかけて

準備をしないと気が済まないのである。

これは過学習というものではないかもしれないけれど、

とにかくこれ以上無理というくらい練習して磨きをかけた?

プレゼンだけど、その応用で別の内容は無理なのだ。

 

「慣れ」る事は自分の性格上もうあきらめているのだけれど、

もう少し器用に生きていけたらいいのにな…と思ってしまうのである。

真ん中

自分のいつも乗る電車はかなり混んでいる。

それでも始発の電車を待てば必ず座る事ができるので

いつも始発電車を待って乗っている。

 

その駅のホームは3人で並ぶような表示がされているのだけれど

コロナの時からなのか、そこにスペースを開けて2人で並ぶ

暗黙の了解が出来ている。

自分がその電車を使うようになった時からずっとその形で

みんな並んでいるので

自分もなんとなく2人で並ぶのが当たり前となっていた。

 

それでも最近、そこに3人で並ぶ事が増えてきた。

もともとは3人で並ぶようになっているので

本来はおかしい事ではないハズなのだが

最初2人が並んでいて

そこに3人目が入ろうとしたときには

かなり驚いた。

 

そして、たぶんその人は全く悪くはないのだけれど

なんとなく間に入られた最初の2人は

若干その3人目に対して

非難的な目を向けるのであった。

 

昨日もまさにそんな感じで

最初2人で並んでいたところに

3人目が間に入って並ぼうとした。

普通はどちらかがなんとなくスペースを作って

3人目も並べるようにするのであるが

昨日は2人とも3人目のためにスペースを空ける気がないようで

頑として動かずに、

3人目は2人の間に足だけ割り込むような微妙な形で

並ぶ事となった。

なんとなく気まずいな、と

次の列に並んで見ていたら

3人目もそう思ったようで

そこで3人目として並ぶのをあきらめて

別の場所に移動してしまった。

3人目として並ぼうとした人には申し訳ないけれど、

なんとなく「分かるな」と思える出来事であった。

 

サイレントヒル

という映画を観た。

 

サブスクのホラー部門一位となっていたので

なんとなく見始めたらなかなか面白くて

最後まで見てしまったのだ。

 

そもそも自分はゲームをしない。

だからバイオハザードも映画は全て観ているけれど

ゲームの世界は全く知らない。

そもそもサイレントヒル自体が

ゲームがもとにあったことすら知らなかった。

 

サブスクあるあるかも知らないけれど、

あなたにおススメの映画をそのまま観ても

意外と刺さらない事が多い。

それでも「ホラー部門一位」というのはやはり気になるのだ。

とにかく最後まで見て思った事は

怖くない!

という事であった。

 

もちろん、グロい映像やショッキングなシーンなども

あるにはあるし、

いかにも出てくる雰囲気、というのもあるし

バンバン殺されるシーンもある事にはある。

 

だけど、なんというか粗さを感じたのであった。

もちろん不気味だし人が死ぬし、そもそも人じゃない物体も

たくさんいるし・・・

そんな状態でどうして動いてるの?というような

怪物が出てきた時には

不謹慎というのは言葉が違うかもしれないのだけれど

途中で笑いたくなった、というか突っ込みを入れたくなって

しまった。

 

もちろんどれも恐ろしいシーンなのではあるけれど、

例えばナースのゾンビみたいなのが集団でだるまさんが転んだ

的な事をしているシーンとか、

頭が三角のチェンソーマン的な怪物が突然出てきたり。

(しかも最後までそれについての説明は無かった)

あと、どう考えても善人で主人公をずっと助けていた準主人公的な

人があっけなく火あぶりにされてしまったり。

 

なんとなく、普通だったらこんな展開無いよね?

と思える事が当たり前のように起こって

怖い前に突っ込みどころが多くて面白くなってしまったのだ。

 

もちろんホラーだし怖い。

だけどどこか粗いというか突拍子もない展開が多いと

感じていたらどうやらゲームが先にあるために

そのゲームの内容を元に出来ているので

そのような展開となっているのもあるようなのだ。

 

とにかく今までホラーは全て恐怖、というイメージしかなかった

けれどゲームから派生した映画はエンタメ要素も多いという事を

今回初めて知った。

ビバリーヒルズ

ビバリーヒルズと聞いて「高校白書!」と分かる人は恐らく同年代だろう。

 

ずいぶん以前に放映された裕福な地域に住む高校生の青春時代を描いたドラマだ。

観ていた時には主人公の年代よりもやや下の年代だったこともあり、

なんとなく理解できていない事もあったが同じく観ていた友人と

ドラマの話をしていた記憶がかすかにある。

 

たまたまfuluをいうサブスクの動画サービスを観ていたところ

全てのシリーズが観れる事に気が付いた。

なんとなく大昔を懐かしむ感覚で試しに第一話を観てみたところ、、

とても面白い!

たぶん以前も同じものを観ていたと思うが

全く記憶に無く全ての話が新しく感じられ、

何よりも登場人物の子供達がみな今でも通用するくらい綺麗なのだ。

確かに服装などは当時の流行?と思わなくもないけれど

それでも現在でも通用するようなレベルのものを着ていて

とにかく全く「古さ」を感じさせないのだ。

 

そして話の内容も今でも通用する話題。

まあ当時に存在しないSNSやスマホなどは当たり前だが

ないけれど、

だからこそ彼らは「ピーチピッド」というたまり場ともいえる

ダイナーに毎晩のように仲間で集まり、ダラダラと話している。

当たり前だけど対面。

今から考えると自分の学生時代もデニーズやファミレスなどで

何時間も友人と話していたことを考えると

とても良い時代だったとしみじみと思えるのだ。

 

今、コロナで普及したテレワーク主体の働き方から

出社回帰の動きが進んでいるようだ。

特にコロナの時代には率先してテレワークを展開していた

新進気鋭のIT企業なんかがむしろ積極的に出社推奨をしているらしい。

 

たぶんこんな話はあえてここで書く必要はないようにも思うけれど

それでも「対面ならでわの面倒くささ」にはその価値が必ずあると

思うのだ。

それは人間ならでわの「体温」「感情」が直接感じられる事も

大きいのだと思う。

「感情」はチャットやオンラインの会話でも感じられるかもしれない。

だけど対面で感じられる人間的な感覚や熱量は

決してオンラインでは伝えられないいわば「人間の最後の砦」とも

いえるもののように感じる。

 

ビバリーヒルズのドラマからだいぶ脱線してしまったけれど

とにかくこのドラマは今見ても新鮮で現在進行形の「青春」

を感じられる作品なのだ。

 

オンラインの時代について少し悪口言ってしまったけれど、

よくよく考えればサブスク動画視聴サービスが無ければ

ビバリーヒルズを再度しかも好きな時に観る事も出来ないわけだ。

そう思うと今の時代の技術に感謝しながら、

それでも「人間の最後の砦」ともいえる対面を

もう少し続けていきたいと考えている。

 

お化けと妖怪

少し前に新聞で妖怪展について取り上げられていた。

今流行りのイマーシブ体験と妖怪の展示を掛け合わせたもの

だそうだ。

子供が対象かと思いきや、

大人も対象となっているらしい。

 

そういえば自分自身も子供の頃はむしろ怖いものが苦手で

ホラー映画も観る事ができなかった。

一時期評判となった「シックスセンス」すら内容を少し聞いた

だけで「もう無理」

と思い当時は観る事が出来なかった。

そのくせ大人になりもう充分年齢も重ねた結果

ホラー映画の集大成?とも感じている

「羊たちの沈黙」

のようなものからゾンビ映画まで

なんでも平気、むしろ観たい、という趣味嗜好へと

変わっていった。

妖怪についても子供の頃は「ゲゲゲの鬼太郎」すら

おどろおどろしい音楽や絵の雰囲気から

苦手としていたのがむしろ大人の「ちびまる子ちゃん」的

な位置づけへと変わっていたのであった。

 

大人になるにつれてどうして「怖いもの」が大丈夫、

むしろ「好き」となるのであろうか。

「現実の方がもっと怖い」「お化けより人間が一番怖い」

などなどそれぞれの主張はあるかもしれないけれど、

これは人間の味覚と似たようなものかもしれないと思う。

「怖さ」という刺激(味覚でいうと「辛さ」「苦さ」的なもの)

心の刺激に慣れていないうちは「痛み」「命の危険」「恐怖」

のような反応をしてしまいがちであり、

むしろそれが当たり前だと思う。

だけど大人になるにつれて「ワサビ」のような

「辛いもの」「苦いもの」が平気となるように

心も「安心」「快適」以外にも「恐怖」「命の危険」的な

ものを求めるようになるのかもしれない。

「ホラー映画のような怖い世界を観てから現実の

世界に戻り自分は安全だと確認してストレスを解消する」

など色々な考察があるけれど

それだけでは説明が出来ないような事も多い気がする。

思えばホラーではないけれど、サスペンスや犯罪映画、

事件モノなど様々なドラマが作成され多くのファンがいる。

 

ホラーや犯罪映画が好きな人皆が皆、人格がおかしい、

とかサイコパス、等ではないと思う。

多分、「恐怖」「悪」「死」について誰もがこっそりした

興味を持っているから作品は作られるのだと思う。

もちろん誰だって平和で安心した気持ちで毎日を送りたい。

美味しい優しい味、身体によい食べもの。

ほとんどの人がそういう食生活が正しいと認識している。

それでもスナック菓子やマックは永遠になくならない。

人はたぶん時々、そういう「刺激」的なものが欲しくなるのだ。

健康的な毎日を時々少し刺激を味わいながら過ごしていく、

そのためにはスナック菓子やマックは必需品なんだと思う。

そういう視点で考えるとお化けや妖怪も人間にとって

生きていくために必要な「刺激」なんだと思う。

パワハラ

どうやら友達がパワハラを受けているらしい。

最近とても体調が悪くしばらく仲間内の飲み会にも

欠席していて心配していたのだ。

この前偶然会う機会があり話を聞いてみたところ

少しだけ話をしてくれた。

 

イマドキあり得ないと思っていたのだけれど

かなり地味な嫌がらせを受けているとのこと。

今は逆パワハラなんて言葉もあるくらい

上司が部下に気を遣う時代だと思っていたけれど

友人の場合は直属の上司から受けている、ようである。

 

例えば挨拶をしても無視される、

自分だけお土産のお菓子をわざと?外される、

グループ連絡のchatに対しても自分以外にはリアクションを

するものの、友人の時に限りスルーされる、、

などなど。

 

お菓子などは子供のイジメみたいなイメージもあるが

実際受ける方となると地味にダメージが大きいらしい。

休みの人にも配っているらしく

休み明けに出てきた人から「誰から?」と聞かれて

悲しい気持ちになったとのこと。

 

しばらく上司は変わらないと思うので

自分のメンタルが病む前に退職したいと考えていとのことだ。

 

退職や異動、転職を視野に、何かの時用に

今はその証拠をスクショやメモ等に集めているそうだ。

 

配るのを忘れていた、挨拶されたのに気が付かなかった、

そもそも考え過ぎなのでは、信頼する上司・同僚に相談してみては、

 

など実際に嫌がらせを受けていない人は考えるかもしれない。

でも受けている人は一人で地獄にいるようなものだ。

そもそも「考え過ぎ」ではなく「そう感じた」という事が問題で

不快(不安)な気持ちに絶えずさせられる事が問題なんだと思う。

ましてや自分以外の人に対しては気配り上手な上司の顔を

しているのをいつも目の当たりにしていたら

もう誰に相談していものかも分からなくなるだろう。

 

とにかく友達は今のところは健康第一に下手に目立たずに、

こっそり証拠収集をしながら次の一手を考えるとのことだった。

 

いざとなれば外部や会社の相談窓口、他部署の仲の良い上司、

先輩、等々にも相談してみるかも、とのことであった。

比較的おとなしめに見えるためターゲットにされてしまった

のかもしれないが、一番怒らせると怖いタイプなのかもしれない。

 

泣き寝入りはしない、と言った友達が少し大きく見えたのであった。