toridori

日々雑多なことを書いています。

音源

マンションのゴミ集積所にゴミを置きに行った雨の朝。

雨というよりは大雨の降った翌朝。

ほんの少し雨は降っているものの小康状態。

ただ早朝だったからか住民には誰も会わなかった。

ゴミを出して部屋に戻ろうとしたところ

どこからともなく大きな「カーン、カーン」という音が同じテンポ

で聞こえてくる。

朝だから音が響きやすいのかもしれないけれど

それでもだいぶ大きな音。

何となく音源を辿ってみたら

とある共有通路にある排水管の蓋。

そこのちょうど蓋の部分に昨夜の大雨の名残が

小枝を伝って同じリズムで落ちて音を立てているようだ。

正直そこの前の部屋の住民はかなりうるさいのではないか。

まあ、大雨の日くらいしかそんな事態にはならないかとは

思うけれどそこそこ大きな音。

そんな音が一晩中聞こえてきたらおちおち眠れないだろう。

自分だったら音が気になってその鉄の蓋の上に音防止のタオルとか

おいてしまうかもしれない。

 

自分の部屋はそこの場所からだいぶ離れているので全く気づきも

しなかったけれど、意外と自分が気付かない、聞こえていないだけで

自分以外の誰かはこっそり何かを我慢しているのかもしれない、

そんなことをうっすら考えた朝であった。

 

勝手に友達

自分はいつも音楽を聴いている。

電車の時も会社の昼休憩の時も。

そして古いのかもしれないけれど、

スマホでは聴かずにSonyのウォークマンを愛用している。

だいぶ型が古いみたいだけど、

使い勝手が良いのでSシリーズというものを壊れてはその度に

新しいものを購入している。

 

でもイマドキはみんなウォークマンなんて使っていないから

なんとなく気恥ずかしくも感じている。

だから操作するときもカバンの中でこそこそ行っている。

 

少し前にそれまで横に座っていた人が立って

その代わりに大きい若めの黒人さんが自分の横に座った。

身体も大きくすごくイマドキな感じ。

自分は全く真逆のタイプなので少しだけ緊張した。

彼はふとカバンをごそごそ探し何かを取り出した。

なんと、自分と同じSonyのウォークマンだった。

しかもSシリーズの同じタイプ。

横目で見るとだいぶ年季が入っているようだったが

間違いなく自分と同じ商品だ。

イヤホンをつけて音楽を聴き始めた。

ラジオも聴けるから音楽ではないかもしれないけれど

とにかく一気に親近感を感じたのであった。

見た目やタイプは全く違うけれど

同じものに「価値」を感じている。

どんなものに「好き」「イイネ」「価値」を感じるか。

彼は全く自分の存在に気が付いていなさそうだったけれど

自分の中で彼は勝手に「友達」にランクアップ?した。

肩をすくめるアトラス(1)

少し前から「肩をすくめるアトラス」を読み始めた。

最初に本を買ったのは数年前。

だけど最初の数ページを読み進めるのもあまりにも辛すぎて

(当時の自分は読みやすいものばかり読んでいたので、

こんなにまともで字が小さく分厚い本を読む素地が出来ていなかった)

結局途中で挫折してしばらく本棚の奥に眠っていたのだ。

 

最近また少し余裕ができてきて、まともな本が読みたくなった。

どうせなら以前挫折してしまった「あの」本を読んでみるか、

そんな気持ちで、本当に全く期待も無く、読み始めたのだった。

 

そして、今読んでみると本当に面白い。

分厚くて字も小さくて、書いてある事も時々単調で面白くなく

感じる部分ももちろんある。

それでもそれ以上に、話が進めば進むほど面白くて興味深く

最近自分が仕事について考えていたこと・感じていたことに

不思議なほど共通していて・状況は違えど追体験しているようで

とても他人事のお話とは感じられないのである。

社会の縮図、仕事の縮図、搾取する人と搾取される人、破壊者。

 

全く関係ない話だけど自分は都市伝説も好きなのだけど、

一部そんな話も出てくるのもまたたまらない。

もちろん、きちんとした話でそういえばイーロンマスクも

そんな隠れた都市を誰にも干渉されない都市を作るとかなんとか、

そんな話をどこかで聞いた気もする。

そういえば、ピーターティールの自伝でもそんな海上都市の話

が書いてあったような・・

 

この本は70年以上前に書かれた本なのだけど、とても新しいのだ。

過大広告なのかそこは分からないのだけれど、

アメリカで聖書の次に読まれた本なのだそうだ。

まだまだ先は長い本なのだけれど、読みながらここで考えた事を

少しづつ書いていきたいと思う。

 

 

 

地震とイイネ

昨夜の地震は驚いた。

地震自体も驚いたけれど

真夜中の緊急地震速報の大きさ

自分は集合住宅に住んでいるのだけれど

自分のスマホはもちろんのこと、

別の家にあるスマホの地震速報も

深夜という事もあって一斉に鳴り響いていて

目覚めた瞬間からものすごく怖く感じた。

 

おまけに、これまで訓練でしか聞いた事がなかった

自治体の「大地震です!」の自動?アナウンスも

深夜の2時に鳴り響いて

一瞬頭の中がパニックになった。

 

スマホではすぐに情報が出てこなかったので

深夜に放送しているか心配ではあったものの

テレビをつけてみたら

地震速報のニュースが流れていて

ひとまず安心した。

 

どうやらそこまでの被害状況ではなさそうだ、

と確認して再度寝なおそうとしたものの

なんだか頭が興奮していてなかなか寝付けなかった。

 

仕方ないからスマホで地震のニュースなどを見ていたら

コメントも続々入っている事に気が付いた。

それぞれ驚いた事、地震よりも地震速報の大きさに驚いた、など

血の通ったコメントを見ていたら

何だか急に安心してきたのを感じた。

「この時間もみんな起きているんだな」

「自分と同じように驚いた人もこんなにいるんだな」

そう感じた事で不思議と心が落ち着いてきた。

そして共感したコメントが出てくるたびに「イイネ」を押していたら

段々と張り詰めていた気分が緩和してきて眠気が戻ってきた。

 

深夜の全く知らない人とのつながり、同じ物事への共感。

普段はあまりSNSもやらずに、どちらかといえばそういうものから

距離を置いている自分なのだけれど、

昨夜みたいな非現実な状態での心細さの中で

「誰かと同じ気持ちを共有している」

ただそれだけで、心が大きく救われる事があるんだなと

感じた夜であった。

 

スコップを売る

ゴールドラッシュで一番儲けた人。

 

金を発掘した人?

金を売った人?

ではなくて

正解はスコップを売った人。

らしい。

らしい、というのは実際の統計や事実関係を自分で確認した

わけではないから。

それでもこの話はかなり有名だ。

肝腎かなめのところではなくて

「金」を掘るために使う「スコップ」という道具。

それを売った人が一番儲かったという説。

一瞬大げさなと思いつつ、

それでも指数関数的に増えていく「自分も儲けたい」という

人の心理。

意外と「スコップを売った人が一番儲けた」説は

真実かなと思った。

 

その説を現代の投資に活かす考え方も浸透している。

もしかしたら経済的な投資だけではなく

自分の自己投資にも当てはまるのかもしれない。

自分への投資だから

もちろん資質や興味、能力や時間などなど

制約はあるのだけれど

やみくもに資格を取るのではなくて

どんな技術を取得するのが一番「お得」なのか。

現代のスキルの「スコップ」。

もう少し自分の頭で考えなきゃなと思う今日この頃である。

 

 

過学習と応用と慣れ

「過学習」

最近知った言葉だ。

正確には生成AIパスポート試験の勉強のため読んでいた参考書

に出ていた言葉。

言葉通り

「学習し過ぎて逆に他のケースにうまく対応できなくなること」

という意味。

恐ろしい。これは決してAIの世界意外でも言える事だ。

むしろ人間の世界によくある話のように感じる。

 

例えば自分は緊張しやすいので、プレゼンなど大勢の前で話す時

にはかなり練習する。

異常かと我ながら思うくらい、練習する。

それでも不安でカラオケボックスでも練習したりする。

最後の方は30分くらいの内容をほぼ暗記してしまうくらいに仕上げる。

そして結果上手くいく事も多い。

それでも別の新たな事(プレゼンや発表)があると

また一からのスタートとなってしまう。

 

勉強の世界では「基礎」と「応用」という概念がある。

「応用」と少し考え方がずれているかもしれないのだけれど

「前回(のプレゼン)」ができたのだから

それの「応用」として「今回(新しいプレゼン)」もできるでしょ、

というのは自分としては「あり得ない」概念なのだ。

これは単なる自信の問題なのかもしれないけれど

「前回はあり得ないほど練習しなんとかやれた。

自信もついた。前回の内容であれば完璧にやれる自信はある。

でも新しい内容については別もの。全く自信なんてあり得ない。」

 

普通の人は成功体験を何度か重ねて苦手な事に対しても

少しづつ慣れていけるのかもしれないけれど、自分の場合は

残念ながら決して慣れる事はないのだ。慣れて、とか場数を踏んで

緊張しなくなる、とかは残念ながら自分の場合は夢のまた夢。

むしろ前回やれたし今度はアドリブでやってみようなんて

考えたら痛い目を見る事になる。

これまでの経験からそれは確信している。

 

全く同じプレゼンであれば前回よりは少しの練習でも良いと

思えるかもしれない。

だけど全く新しい内容であれば、前回同様の時間をかけて

準備をしないと気が済まないのである。

これは過学習というものではないかもしれないけれど、

とにかくこれ以上無理というくらい練習して磨きをかけた?

プレゼンだけど、その応用で別の内容は無理なのだ。

 

「慣れ」る事は自分の性格上もうあきらめているのだけれど、

もう少し器用に生きていけたらいいのにな…と思ってしまうのである。

真ん中

自分のいつも乗る電車はかなり混んでいる。

それでも始発の電車を待てば必ず座る事ができるので

いつも始発電車を待って乗っている。

 

その駅のホームは3人で並ぶような表示がされているのだけれど

コロナの時からなのか、そこにスペースを開けて2人で並ぶ

暗黙の了解が出来ている。

自分がその電車を使うようになった時からずっとその形で

みんな並んでいるので

自分もなんとなく2人で並ぶのが当たり前となっていた。

 

それでも最近、そこに3人で並ぶ事が増えてきた。

もともとは3人で並ぶようになっているので

本来はおかしい事ではないハズなのだが

最初2人が並んでいて

そこに3人目が入ろうとしたときには

かなり驚いた。

 

そして、たぶんその人は全く悪くはないのだけれど

なんとなく間に入られた最初の2人は

若干その3人目に対して

非難的な目を向けるのであった。

 

昨日もまさにそんな感じで

最初2人で並んでいたところに

3人目が間に入って並ぼうとした。

普通はどちらかがなんとなくスペースを作って

3人目も並べるようにするのであるが

昨日は2人とも3人目のためにスペースを空ける気がないようで

頑として動かずに、

3人目は2人の間に足だけ割り込むような微妙な形で

並ぶ事となった。

なんとなく気まずいな、と

次の列に並んで見ていたら

3人目もそう思ったようで

そこで3人目として並ぶのをあきらめて

別の場所に移動してしまった。

3人目として並ぼうとした人には申し訳ないけれど、

なんとなく「分かるな」と思える出来事であった。