suzume blog

Pythonを勉強中です。日々雑多なことを書いています。

私こう見えて意外と

街中を歩いていて、後ろから聞こえてきた会話。

「〇〇さん、167くらい?」

「165です。私こう見えて意外と高くないんです。」

何となく振り返って見てみると

恐らく仕事先に向かうだろう二人のスーツを着た男女。

年齢的に上司と部下の組み合わせだろう。

 

こんな会話、別の時にも聞いた事がある。

「お正月、こう見えて意外とちゃんとやっているんです。」

他にもたくさんあった気がするが忘れてしまった。

 

特にここで書く必要もないかもしれないが

でも、何となく心にひっかかったので書いてしまった。

ここで述べた彼らの「意外と」のその先のこと。

正直、聞いた方からするとどうでもいい、コトである。

だから、それを言われた方も

なんとなく「へえ、そうなんだ」

的なふわっとした切り替えしをしている。

自分は天邪鬼なのでお正月の人に対しては

「具体的にどんな事をしているの?」

と聞いてしまうかもしれないが。。

 

ほんの少し気になっている事がある。

話している彼らは、意外とのその先の真実が

「聞いた方にとってはどうでもいい事」である、

という事をわかった上で話しているのであろうか?

(心の中で「まあ、どうでもいいとは思いますが」と思っている?)

それとも、普通に堂々とその先の事を話しているのだろうか?

 

機会があれば誰か教えてほしい。

人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ

チャップリンの言葉だ。

人生とはそういうものらしい。

確かにそう言える気がする。

自分は今悲劇の真っただ中にいる。

と感じる事は誰だってあるだろう。

なぜだか次から次へと望まない事が発生する。

 

でもほんの少し時間が経った後に

遠くからその状態を眺めてみると

状況が酷ければ酷いほど

なぜかより喜劇に感じてしまうのである。

そしてあえて言葉にしてしまおう。

何もないよりは、何かある方が人生は面白い。

不幸でも幸せでも。

 

退屈は人を殺すという。

だからといって波乱万丈を推奨するわけではないけれど

それでももしかしたら人生の最後に一生を振り返った時に

幸せだけではなくて、それこそ色々あった方が

より思い出深く、より愛おしく、

その当時の自分が輝いているように感じるのかもしれない。

 

大変な状況の真っただ中の時は

全然笑えない、という気分かもしれないけれど

それでも最後になってみないと人生何があるか分からない。

そして、数十年生きてきて間違いなく言える事は

今この瞬間にそれこそ死ぬほど大変であったとしても

その時は永遠には続かない。

必ず時は流れていく。

大変な状況も永遠には続かない。

そもそもこの世に永遠なんて存在しないのだ。

 

それを知っているかいないかで

人生の自由度は全然違う。

 

 

オッペンハイマー

映画「オッペンハイマー」を観てきた。

一言では感想を言えないがとにかくとても良かった。

普段感動的な映画でもあまり映画館で泣くことは無いのであるが

今回に限っては色々な思いが押し寄せて何度も涙を流してしまった。

 

この映画は色々な観方が出来ると思う。

ネットで観た人の感想を読んでみたが、感じ方はそれぞれだった。

もちろん感じ方はそれぞれの権利だし正解も無いと思う。

自分はただひたすら天才の人生の栄華と孤独を感じていた。

自分は凡人であり彼のように天才であるからこその悩みについては

一生無縁だろうと考えている。

そしてだからこそ、彼の人生を追体験する事が出来て感動してしまったのだ。

彼が何をしたとか人類への罪とか全く追及する気も起きない。

彼がやらなければ別の天才が原爆を発明していただろう。

映画の中では名だたる天才が当たり前のように、本当にそれこそ

一人ひとりが主人公を張れるような有名人が脇役的に多く出てきた。

でも人生なんてそんなものなのだろう。

今見たらそうそうたるメンバーが彼の周りにいたけれど、

とにかく彼は彼の人生を地道に一人の人間として一生懸命生きていた。

そのところだけは自分の人生と重なるような気がする。

R指定ではあるけれど、不適切なシーンをカットしてぜひ子供にも

観てもらいたい作品だと思った。

天才の人生の追体験

この映画は長編ながらも飽きさせず成功した作品だと思う。

最後に一つ。

ネタバレになるが。

アインシュタインとの会話。

あのシーンは最高だった。

凡人が自分の悪口を言っている。

と感じた。

でも事実は全く違って

彼らは凡人である彼の事など頭になかった。

彼らは彼らに共通するもっと重要で壮大な話をしていた。

彼らの世界に凡人は存在すらしていなかった。

ハッピーエンドのその先

映画に詳しい人でなくても名前くらいは聞いた事があると思う。

「プリティウーマン」

昨日会社に向かいながら突然ふと思った。

 

あれは完璧なシンデレラストーリー。

ジュリアロバーツ演じる主人公は途中色々あったけれど

最後に大金持ちの実業家と結ばれた。

恐らく彼と再婚するという事なんだろうな。

みんなあの作品の最後のシーンでリチャードギアが花束を口に咥えて

彼女に告白するところでもう「完」という気持ちになっただろう。

自分もそうなった。

何度見ても好きだし好きが高じてブルーレイまで持っている。

 

でも、昨日なぜかふと引っかかった。

そういえば、ジュリアロバーツ(演じる主人公)は途中までは

リチャードギア(演じる実業家)への恋を諦めて、彼から稼いだ

お金を使って昔からの夢である美容師の学校に行くと意気込んでいた

のではなかったか。

 

リチャードギアと幸せになったのは全然問題ない。

でも彼女の美容師になる、という夢や意気込みはその後

どうなったのであろうか。

プリティウーマンの続編は聞いた事が無いからたぶんその先は

作られていないと思う。

でも作中では娼婦をしながらも、賢い女性として描かれている。

仮に彼と結婚しお金持ちのマダムになったとしても奥様業をしながら

学校に通い無事美容師の夢をかなえて働いたという続きのストーリーが

あっても良い気もする。

むしろあれだけパワフルな女性として描かれているのだから

奥様業だけでは力を持て余してしまうだろう。

 

ハッピーエンドのその先での彼女の人生について

続編があったら間違いなく観るのにな。

 

現実逃避なのかもしれないが朝の通勤途中に

そんな事を真剣に考えてしまった。

ITパスポート合格発表

先月に受験した際、受験後すぐに点数表の紙をもらった。

正確には「試験結果レポート」

実際自分が取った点数(評価点)と合格基準点が記載されている。

今まで受験した試験は合格点〇〇点以上であれば合格、それ以下で

あれば不合格。

ととてもわかりやすかった。

しかし今回のITパスポート試験は複雑だった。

ストラテジ系、マネジメント系、テクノロジ系それぞれの分野別評価点

もおのおも合格基準点がありもちろんその3つを合わせた総合評価点

についても合格基準点が設けられていた。

だから総合評価点がクリアしていても分野別の何か一つが基準点を

達していなければ不合格となってしまうのだ。

自分はストラテジ系が合格基準点には達していたものの、

良い点数ではなかったが、その分テクノロジ系がかなり

高得点を取れていたので総合的には合格となった。

当月受験者の合格発表は翌月15日前後にネットで出るとのこと

だったので合格基準には達しているものの、

万が一の可能性?もあるかもしれないと考えて

ドキドキしながら先日15日の合格発表を見に行くと

自分の受験番号が記載されていて無事合格したことが

確定した。

どうせ受験直後に結果が出ているのであるから

即日合格としてくれれば良いのに、とも思うのだが

とにかくそういう仕様のようだ。

合格発表なんて数十年ぶりで、久しぶりに胸の高まりを感じた

ひと時であった。

黄色い家

「黄色い家」を読んだ。

とにかく読んでいてかなり重く苦しい内容であった。

あまりに辛すぎて途中何度か時間を空けて読み進めた。

 

登場人物は皆、重い背景を背負っていた。

主人公の生きざまも壮絶だった。

 

誰よりも黄美子さんの存在感が圧倒的だった。

無邪気とも思える子供のような大人。

大人として生きるには足りないところが多すぎて

いつでも悪人に利用されてしまう危険がある人。

 

とても弱い立場の人間だけど、彼女に近く深く関わる人がみな

黄美子さんを守っていた。

なんというかそんな守護天使みたいな人間が彼女を取り巻いていた。

そして恐らく主人公もその天使の一人だった。

 

最後まで読んで、やっぱり苦しさは消えない。

むしろやるせなさが残り救われない気持ちになった。

 

でもこのまま救われなくて良いのかもしれない。

たくさんの苦しい現実。

気付かずに生きていけるのであれば気付きたくもない真実。

普段生活をしているとそういう現実がある事すら忘れてしまう。

気が付かないという事は、知らないという事は、

どれだけ幸せな状態で自分が生きているのか。

そういう事すら忘れて、

ただ無いものを嘆き、自分より良く見える人を羨む。

 

黄美子さんのような人生を歩まざるを得ない人達がいる。

登場人物の女の子たちのような搾取される存在がたくさんいる。

そういう事に気が付いたとしても何をすれば良いのか分からない。

そして気付いていても大多数の人が何もしない気もする。

ただ、知ってしまったのであれば彼女達のような人生がある事を

心のどこかに置きながら生きていく。

救われない何かを心において生きていく。

それだけでもこの本を、読んで良かったと思う。

 

綺麗な人

小学校の思い出

父親の都合で転勤を繰り返していたその頃

3回目に変わったその小学校で彼女はいた

転校初日

みんなの前で挨拶し先生に教えられた席に座った

転校自体は慣れていた

今とは想像もつかないくらい社交性もあり

転校自体も慣れていたおかげで全く不安は無かった

本当に感覚的に友達の作り方というのを習得していた

もしかしたら今の時代なら通用しないかもしれない

それでも自分の時代にはそれでなんとか問題無かった

友達は笑っていればできるもの

小さいながらにそんな事を経験的に知っていた

だから彼女に話しかけられた時も笑顔で答えた

なんとなく遠巻きに見ていた他の生徒を尻目に

彼女は明るく話しかけてくれた

そして転校初日早々に家に遊びに来ることになった

 

小学校時代の友達

年賀所のやりとりもしておらず

名前も正確に覚えている友達も多くない中で

グループが違うという事で最後は全く遊ばなくなった

彼女の名前と顔だけは今でも鮮明に覚えている

 

今思い返しても、5年生の割には大人びていて

そしてとても綺麗な人だった

しっかりして頭が良くて

そして苦労人だった

当時の自分はあまり社会の闇や格差などについて

全く考えた事の無いお気楽な人生を送っていた

転校する前の学校もどちらかと団地やアパートに

住んでいる子供達が多く

もちろんお金持ちの子供も多くいたけれど

何も気にせずにみんなで遊んでいた記憶がある

 

でも新しい小学校は何かが違った

どちらかというと中流階級?が多数

あとはすごくお金持ち

そしてお金が無い家の子供達が

少数派として存在していた

場所柄なのか友達のグループも

その階級に応じて作られていた

子供ではあるけれど

着ている服からして全く違った

普通に2万円以上もするようなセーターを

お金持ちの子は当たり前に着ていた

みな汚い恰好で遊んでいた前の学校とはギャップが大きかった

 

その前の小学校では塾に通う子供はクラスでも少数だった

もちろん自分も通っていなかったし、

中学はみな公立に行くものだと思っていた

しかし新しい小学校は違った

クラスの大多数が学習塾に通い中学は受験する

というのが当たり前であった

 

その綺麗な人の話に戻ると

転校初日、まずは自分の家に遊びにきてもらい

次に彼女の家にも行かせてもらった

新築の家を案内しそのままなんとなく彼女の家も

案内してくれることになったのだ

その子の家は小さなアパート住まいで

中に入ると薄暗い中に

布団が5枚ひいてあり

部屋はそれ以外は無いようだった

よく見ると、小さな弟が2人いて

彼女は声かけたりあやしたりしながら

自分と話をしていた記憶がある

そこに大人はいなかった

なんというか隠しようのない現実がそこにあり

彼女もそれを当たり前の事として受け入れていた

自分が初めて貧しさの概念を認識したのはその時だったと思う

 

その後何度か一緒に彼女や彼女のグループの子達と

遊んでいたが

気付けば少しづつ友達関係が変わり

いわゆる中流グループの中に入っていた

決して彼女達から追い出された記憶もないし

意地悪された記憶も全くない

それでも気付いた時には中学受験をするために

塾に通う子供達のグループに入っていたのだった

どんなタイミングで自分がグループを移ったのかは

憶えていない

 

卒業までの2年間はそのお受験グループで自分は

遊んだりどこかに行ったりしていた

美人な子やお金持ちの子、とても賢い子も

中に混じっていた

それでも

たぶん転校初日

自分が思っている以上に寂しそうに見えて

優しさから初めて声をかけてくれた綺麗な彼女の事を

一番鮮明に覚えている

心も見た目もとても綺麗な人だった