suzume blog

Pythonを勉強中です。日々雑多なことを書いています。

プログラミングの楽しさ

世の中、ややこしい事が多い。

人間がからむと1+1が必ずしも2とならない事がある。

そしてみな答えは2だと分かっていても

空気を読んで2だと言えない時もある。

 

その点、プログラミングは明確だ。

1+1は2

偉い人が入力してもそうでなくても

もし間違って入力すればエラーが出るのみ。

反対に正しいコードを入力すればその結果が反映される。

とても分かりやすい。

 

空気を読んで変に気を遣われない方がこちらも楽なのだ。

プログラミングの楽しさはこういうシンプルな点も大きいと思う。

 

国立新美術館

今日、国立新美術館に行ってきた。

これまでに何度も足を運んだ国立新美術館

それなのに、美術館の名前を思い浮かべた時に

なぜかいつも記憶があいまいだった。

そして今更ながら今日やっと正式名称を知る事ができた。

 

「新 国立新美術館

よく目にするのはこの表記である。

ちなみに頭の「新」の部分は漢字の「新」がデザイン的に

書かれたもので、美術館の正式名称は

国立新美術館

である。

それでも頭の部分の「新」が記憶にこびりついているようで

ふと美術館名を思い出そうとすると

新国立美術館?」

国立新美術館?」

「新国立新美術館?」

などと分からなくなってしまっていたのだ。

 

今日、美術館の前でじっくりと名前を見ている時に

頭の「新」はデザイン?ロゴマーク?のようなもので

正式名称は「国立新美術館」なのだな、

という事を理解する事ができた。

 

ちなみにお目当てのアートは難解なものも多く、

それでも非日常を思う存分味わう事ができた。

とても満足いく内容であった。

それでも、いざ本日の感想を考えた時にまず思いだしたのが

正式名称は「国立新美術館」であるという事であった。

 

藤子不二雄ミュージアム

先日、「藤子不二雄ミュージアム」に行ってきた。

何となく前から気になっていたという理由だけだが。

感想としてはもっと親子連ればかりを想像していたが

実際は若いカップルも多く女性や男性のおひとり様もいた。

老若男女というよりはどちらかと言うと若めの男女の比率が

多いように感じた。

 

色々展示物も興味深く、想像通りではあったが

1000円にしては楽しめたように感じた。

そして、一つ地味に展示されていたワープロの文章。

作りかけ?の作品が中に残されていたという。

あまりにもシンプルでユーモアがあってつい覚えてしまった。

たしかこんなもの。

 

平家物語(上)」

「平家(ひらや)の上には空があった。」

平家物語(下)」

「平家(ひらや)の下には地球があった。」

「完」

 

もしかしたら言葉が違っているかもしれないけれど

だいたいこんな内容の文章。

それぞれ仰々しく、まるでこれから壮大なストーリーが展開

されるかのような題目をつけて

それぞれが一行で完結していた。

なんてユーモアセンスのある人だろうと感服した。

もちろんドラえもんやその他多くの作品を生み出す頭脳

であるから才能溢れているのは当たり前かもしれないけれど

それでも、こんなギャグみたいな作品?をこっそりワープロ

中に保存していた。

多分、まさかそんなものが後々ファンに公開されるとまでは

考えていなかったのではないだろうか。

上下巻?ともに一行で完結する作品。

間違いなく、作品としては短すぎるけれど

ユーモアセンスは最高だと思う。

 

「僕は、すべてにおいて、「好き」であることを優先させてきました」

 

自分もそんな風に生きていきたいなと感じた一日であった。

私こう見えて意外と

街中を歩いていて、後ろから聞こえてきた会話。

「〇〇さん、167くらい?」

「165です。私こう見えて意外と高くないんです。」

何となく振り返って見てみると

恐らく仕事先に向かうだろう二人のスーツを着た男女。

年齢的に上司と部下の組み合わせだろう。

 

こんな会話、別の時にも聞いた事がある。

「お正月、こう見えて意外とちゃんとやっているんです。」

他にもたくさんあった気がするが忘れてしまった。

 

特にここで書く必要もないかもしれないが

でも、何となく心にひっかかったので書いてしまった。

ここで述べた彼らの「意外と」のその先のこと。

正直、聞いた方からするとどうでもいい、コトである。

だから、それを言われた方も

なんとなく「へえ、そうなんだ」

的なふわっとした切り替えしをしている。

自分は天邪鬼なのでお正月の人に対しては

「具体的にどんな事をしているの?」

と聞いてしまうかもしれないが。。

 

ほんの少し気になっている事がある。

話している彼らは、意外とのその先の真実が

「聞いた方にとってはどうでもいい事」である、

という事をわかった上で話しているのであろうか?

(心の中で「まあ、どうでもいいとは思いますが」と思っている?)

それとも、普通に堂々とその先の事を話しているのだろうか?

 

機会があれば誰か教えてほしい。

人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ

チャップリンの言葉だ。

人生とはそういうものらしい。

確かにそう言える気がする。

自分は今悲劇の真っただ中にいる。

と感じる事は誰だってあるだろう。

なぜだか次から次へと望まない事が発生する。

 

でもほんの少し時間が経った後に

遠くからその状態を眺めてみると

状況が酷ければ酷いほど

なぜかより喜劇に感じてしまうのである。

そしてあえて言葉にしてしまおう。

何もないよりは、何かある方が人生は面白い。

不幸でも幸せでも。

 

退屈は人を殺すという。

だからといって波乱万丈を推奨するわけではないけれど

それでももしかしたら人生の最後に一生を振り返った時に

幸せだけではなくて、それこそ色々あった方が

より思い出深く、より愛おしく、

その当時の自分が輝いているように感じるのかもしれない。

 

大変な状況の真っただ中の時は

全然笑えない、という気分かもしれないけれど

それでも最後になってみないと人生何があるか分からない。

そして、数十年生きてきて間違いなく言える事は

今この瞬間にそれこそ死ぬほど大変であったとしても

その時は永遠には続かない。

必ず時は流れていく。

大変な状況も永遠には続かない。

そもそもこの世に永遠なんて存在しないのだ。

 

それを知っているかいないかで

人生の自由度は全然違う。

 

 

オッペンハイマー

映画「オッペンハイマー」を観てきた。

一言では感想を言えないがとにかくとても良かった。

普段感動的な映画でもあまり映画館で泣くことは無いのであるが

今回に限っては色々な思いが押し寄せて何度も涙を流してしまった。

 

この映画は色々な観方が出来ると思う。

ネットで観た人の感想を読んでみたが、感じ方はそれぞれだった。

もちろん感じ方はそれぞれの権利だし正解も無いと思う。

自分はただひたすら天才の人生の栄華と孤独を感じていた。

自分は凡人であり彼のように天才であるからこその悩みについては

一生無縁だろうと考えている。

そしてだからこそ、彼の人生を追体験する事が出来て感動してしまったのだ。

彼が何をしたとか人類への罪とか全く追及する気も起きない。

彼がやらなければ別の天才が原爆を発明していただろう。

映画の中では名だたる天才が当たり前のように、本当にそれこそ

一人ひとりが主人公を張れるような有名人が脇役的に多く出てきた。

でも人生なんてそんなものなのだろう。

今見たらそうそうたるメンバーが彼の周りにいたけれど、

とにかく彼は彼の人生を地道に一人の人間として一生懸命生きていた。

そのところだけは自分の人生と重なるような気がする。

R指定ではあるけれど、不適切なシーンをカットしてぜひ子供にも

観てもらいたい作品だと思った。

天才の人生の追体験

この映画は長編ながらも飽きさせず成功した作品だと思う。

最後に一つ。

ネタバレになるが。

アインシュタインとの会話。

あのシーンは最高だった。

凡人が自分の悪口を言っている。

と感じた。

でも事実は全く違って

彼らは凡人である彼の事など頭になかった。

彼らは彼らに共通するもっと重要で壮大な話をしていた。

彼らの世界に凡人は存在すらしていなかった。

ハッピーエンドのその先

映画に詳しい人でなくても名前くらいは聞いた事があると思う。

「プリティウーマン」

昨日会社に向かいながら突然ふと思った。

 

あれは完璧なシンデレラストーリー。

ジュリアロバーツ演じる主人公は途中色々あったけれど

最後に大金持ちの実業家と結ばれた。

恐らく彼と再婚するという事なんだろうな。

みんなあの作品の最後のシーンでリチャードギアが花束を口に咥えて

彼女に告白するところでもう「完」という気持ちになっただろう。

自分もそうなった。

何度見ても好きだし好きが高じてブルーレイまで持っている。

 

でも、昨日なぜかふと引っかかった。

そういえば、ジュリアロバーツ(演じる主人公)は途中までは

リチャードギア(演じる実業家)への恋を諦めて、彼から稼いだ

お金を使って昔からの夢である美容師の学校に行くと意気込んでいた

のではなかったか。

 

リチャードギアと幸せになったのは全然問題ない。

でも彼女の美容師になる、という夢や意気込みはその後

どうなったのであろうか。

プリティウーマンの続編は聞いた事が無いからたぶんその先は

作られていないと思う。

でも作中では娼婦をしながらも、賢い女性として描かれている。

仮に彼と結婚しお金持ちのマダムになったとしても奥様業をしながら

学校に通い無事美容師の夢をかなえて働いたという続きのストーリーが

あっても良い気もする。

むしろあれだけパワフルな女性として描かれているのだから

奥様業だけでは力を持て余してしまうだろう。

 

ハッピーエンドのその先での彼女の人生について

続編があったら間違いなく観るのにな。

 

現実逃避なのかもしれないが朝の通勤途中に

そんな事を真剣に考えてしまった。