OpenAIは人工知能を研究する非営利組織。
そのアプリケーションにGPT-3がある。
このGPT-3は人間でも見分けがつかないような高度な文書を
何より自分が驚いたのが、このGPT-3が書いたオンラインの記事
がその週のランキング1位になったという記事だ。
ただ、その記事自体ここまでくると誰が書いたのか怪しくも
なってはくるのであるが、それでも1位というのは驚くべき事だ。
自分みたいにただの会社員が仕事の後や休日にこっそりブログを
書くのとは全然レベルが違う内容ということだ。
人は血の通っていない存在が書いた記事の方が、生身の人間が
心を使って書いた記事よりも優れていると感じたということ自体が
もうAIが人間を超越してしまったという事を現しているように思える。
いや、そもそも今の時代、感情とか血とか生身とか、そういうものは
求められていなくて、その代わりに理論とか正確さとか統計、データ
など、そういう情報がより価値あるものと認識されているのかもしれない。
それならば、人間の性質、流行り、好まれるパターンなどを解析して
GPT-3に学ばせて小説を書かせたら、そのうち世界的なベストセラーが
毎日生まれるのかもしれないが、なんだか複雑な気分になる。
そのうちAIを差別してはいけない時代がくるのかもしれないが、
やはり小説は本当の悲しみや苦しみ、喜びといった感覚を実際に持つ
人間に書いてほしいと思う。
でも、きっと近い将来、誰が人間かAIか見分けがつかないSFみたいな
世界がくるような気もする。
生身の人間はどうしても自分が主だから、他人を傷つけることもある。
例えば仕事でも気難しい人や常に不機嫌な人とやり取りするくらいなら
相手がAIの方が対応しやすいのは間違いない。
もし、自分を傷つけることが絶対ないのであれば、ある程度AIの存在も
認めざるを得ないとも思う自分もいるのである。
全部は嫌だが、一定の規則を持ってAIを受け入れていくのはやむなし
のような気もする。