suzume blog

Pythonを勉強中です。日々雑多なことを書いています。

トロッコ問題

「トロッコ問題」

ロッコがブレーキが効かない状態で猛スピードで走っている。

道は二手に分かれており、右手にはお年寄りが集団で歩いている。

左手には子供たちが同じく集団で歩いている。

ロッコを操縦するあなたはどうするか?

これはかなり有名な話である。

そういえば以前サイコパスについて書かれた本を読んだのであるが、

自分のサイコパス度を測る問題としても同じようなものが書かれていた。

お年寄りか子供達か。

究極の問題である。。

すごく正解が知りたくなり、Googleで調べてみたのだが、残念、というか

予想通りというのか、答えは「なし」とのことだった。

これは正解を答えるのではなく、回答者の思考について調べるテスト

とのことだった。

今日の日本経済新聞に「安全なAI」についての記事があり、とても興味

深かったのであるが、なぜ「危険なAI」や間違った判断をしてしまうAIが

できてしまうかというと、AIに学ばせているデータに偏りがあることから

生じる問題のようだ。

先のトロッコ問題も、大前提として(AIへのプログラム)右か左にしか

曲がれない、という条件となっている。

だから、どちらかに曲がらねばならず、その時どちらに曲がるべきか、

(=どちらの命を優先すべきか)という問題に発展するのである。

でも、もし同じことを人間が考えるとするのであれば、そもそもの

前提を否定して「右にも左にも進まず、まっすぐに進むようハンドルを

固定し分岐点にくる直前に自分はトロッコから降りればいい」という

ような答えが出てくるかもしれない。

条件やアルゴリズムをプログラムされた機械は決められたことしか

出来ないが、でも人間は違う。

「決められていないことを自分で決める」「プログラム(大前提)を

否定し、その上で思考を進める」という高度なことが出来るのである。

 

今の時代、AIやDXなどが一番優位であると思いがちではあるのだが、

もちろん優位であることに変わりはないのであるが、それでも、

プログラムされていないこと、データとして与えられていないことを

自分で考え出す、つまりゼロからイチを生み出す力は人間の方が今はまだ

勝っているんではないかと思うのである。