suzume blog

Pythonを勉強中です。日々雑多なことを書いています。

1984年

1984年」

ジョージ・オーウェルSF小説

前から存在は知ってはいたのだが、ついに最近読み始めた。

まだ半分くらいしか読んでいないのであるが、驚いた。

何に驚いたかというと、この内容のことが1949年に既に書かれて

いたという事実。

戦争、監視社会、階級制度・・・いちおうこの小説はSF小説の分野

ではあるので、「SF」という概念で描かれているのであるが

まさにその世界が現在、「今のリアルな世界」として存在しているのである。

その世界では上中下の3つの階層で社会が分かれており、上層部はほんの

数パーセント。

全ての意思決定や監視を行い、本当に「美味」なものを享受する層である。

階級社会を維持する事が最大の存在意義である。

 

中層部もほんの十数パーセント。

上層部の指示により働く層でありわずかに「美味」なものを享受できる

ぎりぎりの層である。ある程度考える能力があるため上層部から常に

監視を受け、何か上層部にとって脅威となるような兆候(発言、態度、

能力等)が見られたらすぐに「消される」存在。

 

そして最下層が85パーセントくらい。

小説の中では「プロール」と呼ばれる大衆。

上層部の策定した「戦争」情報により操作される集団。

ひらすら階級社会のために低賃金で労働し、ある程度の年齢になると

死んでいく無知の層。

無知であるから上層部にとって脅威とならないと考えられているため

ある程度自由に生活でき自由に結婚も許されている。

言葉は悪いが上層部から見たら労働力を提供してくれる家畜のような

存在である。もちろん「美味」なものを享受することは無く、

ひたすら労働し「美味」なものを献上するだけの存在である。

そして日々の労働と「戦争」情報によりその事に疑問を抱く余裕が

無いのである。

 

小説の中では「戦争」が階級制度を維持するための「手段」として

用いられ、世界の大前提として絶えず継続している「戦争」は

実際は行われておらず、ただ人々への情報として戦況が報道される世界。

ただ「戦争」があるために人々は一人の強力な「独裁者」を支持する世界。

でもこの「独裁者」はひと握りの上層部の人間が自分達の特権を失わない

ために作った存在しない人間なのである。

 

この本は「予言の書」とも言われているくらい現代の社会を彷彿と

させているように思うのは自分だけではないと思う。

特にこの「独裁者」。

なんだか今の世界にも存在しているような気がする。

確かに自分達はテレビやネットで有名人の姿を見る事は可能であるが

実際この目で見た事は一度も無いのである。

AIでいくらでも精巧な画像を作れるようになった今の時代、自分が

画面越しに見ているのは本当に存在している人間なのか、作られた

画像なのかその違いは分からないのである。

人は「いる」と大勢が言っていれば本当に「いる」と思い込む性質がある。

でも、その大勢のうち果たして何人が本当にその人を「見た」のであろうか?

今はほとんど全てネットを通して情報を入手する時代である。

それは確かに便利で楽なのであるが、それは何らかの目的をもって

作られた情報である可能性もあるという事を人々は定期的にでも

思い出す必要があると最近特に感じるのである。