昨日は有休をもらい買い物に行った。
買い物といっても一駅となりの少し大きめの駅。
でもこのご時世、休日も基本電車に乗らいないで済む程度の
行動範囲で済ませているので、電車に乗ること自体が少しお出かけ
という気分になる。
そこで家族の誕生日祝い用のケーキを買い、少し高いスーパーで
お惣菜などを買い、店を出たところ通り雨が降っていることに気が付いた。
でもスーパーから駅まではほんの1分くらいなので傘は無くても大丈夫、
と思い早足で駅に向かっていたら、ふと頭の上に綺麗な模様の傘が
あるのが視界に入った。
どうしたものだろう?と後ろを振り返ると優しそうなおば様が、
他人である自分も中に入るように傘をさしながら歩いてくれていた。
何となく、この人は自分くらいの子供がいる人なんだろうなと思った。
なんだか嬉しくなって「ありがとうございます!」と言うと、
「駅までほんの少しの距離だから」と少し恥ずかしそうに答えた。
このほんの数秒でここ最近の自分の心のモヤモヤや寂しさが、
薄れていくのを感じた。
まったくの第三者の思いやり、何気ない親切は誰かの心を救うのだ。
やれITだ、給付金だ、宇宙開発だと世間はどんどん進化を進めているが
でも、それでも人間である以上、心のつながり、優しさ、思いやりは
いつまでもなくならないでいてほしい。
いや、むしろこんな分断の世の中だからこそ心の重要性は高まっている
ような気もする。
生きていくためにはお金も技術も経済もとても必要なことは十分過ぎる
くらいみんな理解できている。
それでも、最後に人を救うのは間違いなく人なんだとしみじみ思った
ひとコマだった。