suzume blog

Pythonを勉強中です。日々雑多なことを書いています。

ITパスポート合格発表

先月に受験した際、受験後すぐに点数表の紙をもらった。

正確には「試験結果レポート」

実際自分が取った点数(評価点)と合格基準点が記載されている。

今まで受験した試験は合格点〇〇点以上であれば合格、それ以下で

あれば不合格。

ととてもわかりやすかった。

しかし今回のITパスポート試験は複雑だった。

ストラテジ系、マネジメント系、テクノロジ系それぞれの分野別評価点

もおのおも合格基準点がありもちろんその3つを合わせた総合評価点

についても合格基準点が設けられていた。

だから総合評価点がクリアしていても分野別の何か一つが基準点を

達していなければ不合格となってしまうのだ。

自分はストラテジ系が合格基準点には達していたものの、

良い点数ではなかったが、その分テクノロジ系がかなり

高得点を取れていたので総合的には合格となった。

当月受験者の合格発表は翌月15日前後にネットで出るとのこと

だったので合格基準には達しているものの、

万が一の可能性?もあるかもしれないと考えて

ドキドキしながら先日15日の合格発表を見に行くと

自分の受験番号が記載されていて無事合格したことが

確定した。

どうせ受験直後に結果が出ているのであるから

即日合格としてくれれば良いのに、とも思うのだが

とにかくそういう仕様のようだ。

合格発表なんて数十年ぶりで、久しぶりに胸の高まりを感じた

ひと時であった。

黄色い家

「黄色い家」を読んだ。

とにかく読んでいてかなり重く苦しい内容であった。

あまりに辛すぎて途中何度か時間を空けて読み進めた。

 

登場人物は皆、重い背景を背負っていた。

主人公の生きざまも壮絶だった。

 

誰よりも黄美子さんの存在感が圧倒的だった。

無邪気とも思える子供のような大人。

大人として生きるには足りないところが多すぎて

いつでも悪人に利用されてしまう危険がある人。

 

とても弱い立場の人間だけど、彼女に近く深く関わる人がみな

黄美子さんを守っていた。

なんというかそんな守護天使みたいな人間が彼女を取り巻いていた。

そして恐らく主人公もその天使の一人だった。

 

最後まで読んで、やっぱり苦しさは消えない。

むしろやるせなさが残り救われない気持ちになった。

 

でもこのまま救われなくて良いのかもしれない。

たくさんの苦しい現実。

気付かずに生きていけるのであれば気付きたくもない真実。

普段生活をしているとそういう現実がある事すら忘れてしまう。

気が付かないという事は、知らないという事は、

どれだけ幸せな状態で自分が生きているのか。

そういう事すら忘れて、

ただ無いものを嘆き、自分より良く見える人を羨む。

 

黄美子さんのような人生を歩まざるを得ない人達がいる。

登場人物の女の子たちのような搾取される存在がたくさんいる。

そういう事に気が付いたとしても何をすれば良いのか分からない。

そして気付いていても大多数の人が何もしない気もする。

ただ、知ってしまったのであれば彼女達のような人生がある事を

心のどこかに置きながら生きていく。

救われない何かを心において生きていく。

それだけでもこの本を、読んで良かったと思う。

 

綺麗な人

小学校の思い出

父親の都合で転勤を繰り返していたその頃

3回目に変わったその小学校で彼女はいた

転校初日

みんなの前で挨拶し先生に教えられた席に座った

転校自体は慣れていた

今とは想像もつかないくらい社交性もあり

転校自体も慣れていたおかげで全く不安は無かった

本当に感覚的に友達の作り方というのを習得していた

もしかしたら今の時代なら通用しないかもしれない

それでも自分の時代にはそれでなんとか問題無かった

友達は笑っていればできるもの

小さいながらにそんな事を経験的に知っていた

だから彼女に話しかけられた時も笑顔で答えた

なんとなく遠巻きに見ていた他の生徒を尻目に

彼女は明るく話しかけてくれた

そして転校初日早々に家に遊びに来ることになった

 

小学校時代の友達

年賀所のやりとりもしておらず

名前も正確に覚えている友達も多くない中で

グループが違うという事で最後は全く遊ばなくなった

彼女の名前と顔だけは今でも鮮明に覚えている

 

今思い返しても、5年生の割には大人びていて

そしてとても綺麗な人だった

しっかりして頭が良くて

そして苦労人だった

当時の自分はあまり社会の闇や格差などについて

全く考えた事の無いお気楽な人生を送っていた

転校する前の学校もどちらかと団地やアパートに

住んでいる子供達が多く

もちろんお金持ちの子供も多くいたけれど

何も気にせずにみんなで遊んでいた記憶がある

 

でも新しい小学校は何かが違った

どちらかというと中流階級?が多数

あとはすごくお金持ち

そしてお金が無い家の子供達が

少数派として存在していた

場所柄なのか友達のグループも

その階級に応じて作られていた

子供ではあるけれど

着ている服からして全く違った

普通に2万円以上もするようなセーターを

お金持ちの子は当たり前に着ていた

みな汚い恰好で遊んでいた前の学校とはギャップが大きかった

 

その前の小学校では塾に通う子供はクラスでも少数だった

もちろん自分も通っていなかったし、

中学はみな公立に行くものだと思っていた

しかし新しい小学校は違った

クラスの大多数が学習塾に通い中学は受験する

というのが当たり前であった

 

その綺麗な人の話に戻ると

転校初日、まずは自分の家に遊びにきてもらい

次に彼女の家にも行かせてもらった

新築の家を案内しそのままなんとなく彼女の家も

案内してくれることになったのだ

その子の家は小さなアパート住まいで

中に入ると薄暗い中に

布団が5枚ひいてあり

部屋はそれ以外は無いようだった

よく見ると、小さな弟が2人いて

彼女は声かけたりあやしたりしながら

自分と話をしていた記憶がある

そこに大人はいなかった

なんというか隠しようのない現実がそこにあり

彼女もそれを当たり前の事として受け入れていた

自分が初めて貧しさの概念を認識したのはその時だったと思う

 

その後何度か一緒に彼女や彼女のグループの子達と

遊んでいたが

気付けば少しづつ友達関係が変わり

いわゆる中流グループの中に入っていた

決して彼女達から追い出された記憶もないし

意地悪された記憶も全くない

それでも気付いた時には中学受験をするために

塾に通う子供達のグループに入っていたのだった

どんなタイミングで自分がグループを移ったのかは

憶えていない

 

卒業までの2年間はそのお受験グループで自分は

遊んだりどこかに行ったりしていた

美人な子やお金持ちの子、とても賢い子も

中に混じっていた

それでも

たぶん転校初日

自分が思っている以上に寂しそうに見えて

優しさから初めて声をかけてくれた綺麗な彼女の事を

一番鮮明に覚えている

心も見た目もとても綺麗な人だった

一番の贅沢

一番の贅沢てなんだろう

お金があってもやりたい事をする時間が無いなら仕方ない

時間があっても健康でなければそれも不便だ

時間と健康があってもお金が全く無ければそれもそれで困る

そんなわけで

今思う一番の贅沢は

ほどほどのお金

ほどほどの健康

ほどほどの時間

それがある状態

それが一番の贅沢と思える

そして晴耕雨読

雨の日や、雪の日には働きたくない

晴れの日ならば少し頑張れる

そんな生活を送る事が

もしかしたら自分にとって

最高の人生なのかもしれない

もしもBOX

ドラえもんがいて何か一つ願いをかなえてくれるのなら

 

以前なら間違いなくタケコプターを希望した。

自分にとって空を飛ぶというのはあり得ない現実だったから。

でも最近のドローン技術や近い将来実現しそうな空飛ぶタクシー。

今まで絶対にあり得ない、と思っていたことが

意外と出来るのかも、になった今、

もし何か道具を出してくれるなら

間違いなく「もしもBOX」をお願いする。

 

「もしも〇〇だったら」

そう受話器に言うだけで、自分の望む世界に変える事ができる。

世界を平和にする事だってかなえられるのかもしれない。

この世から戦いや飢えや悲しい病を無くすことができるかもしれない。

 

今はそんな素敵な道具は存在しないのだけれど。

でも人間の技術力は意外とスゴイと思う。

昔だったら、海の向こうの人とリアルタイムで映像付きで

コミュニケーションを取れるなんて想像しなかったと思う。

それこそ「もしもBOX」の世界だろう。

前読んだ本にもこのような事が書いてあった。

今自分達が使用している全てのものは

全て誰かの夢から始まった。

最初の誰かが「こんな事ができたらいいな」

そんな夢を見たからこそ、

今私たちはそれを使う事ができるのだ。

まだ世界に「もしもBOX」は存在していないかもしれない。

でもよく目を凝らしてみると、

この世を良くしようと頑張っている人がたくさんいる。

一度に大きな変化を起こす事は無理かもしれない。

それでも絶対無理、と今感じている事も

あと数十年すれば全然可能、になっている気もする。

ただ、それをやるかやらないか。

最初の一歩を踏み出すのはなんだかバカみたいだし

損をしそうな気もするけれど。

でももともと無かったことなのだから、

よく考えてみれば最低でもマイナスにはならないのだ。

何事も経験。

と思ってまず最初の一歩を踏み出すのが大切なんだと思う。

満員電車にて

昨日、久しぶりに人身事故で電車が遅れていた。

自分は始発の駅から乗るため並ぶことにより座る事ができた。

通常はあまり混まない時間帯に電車に乗っているため、

ここまで満員電車という事もないのだが、さすがに昨日は

帰宅ラッシュの時間帯の人身事故という事でだいぶ混みあっていた。

自分の前に40~50代くらいの、ザ・イライラおじさん、が立っていた。

スマホを片手で見ながら片足をしきりに貧乏ゆすりをしていた。

そして、その貧乏ゆすりがとても高速であった。

毎秒何回揺れるのか。

立ちながらの貧乏ゆすり。

いつもしているのかもしれない。

なかなか年季が入っていた。

そして、おじさんはなかな発車されない事をおわびするアナウンスに対し

舌打ちしたり、何かつぶやいたりして明らかにイライラしていた。

なんだかヤバい人の近くに座ってしまったな、と思った。

とはいえ、あまり見ていると何か言われそうなので寝たふりをした。

目を閉じながら、万が一貧乏ゆすりで発電ができる装置があれば

彼はかなりの電力を産むことができるであろう。

そんなどうしようもない事を考えながらうつらうつらしていた。

 

ひと眠りして起きた時には電車は動いていた。

しかし、あれからまたたくさんの人が乗ったようで、寝る前以上に

電車が混みあっていた。

ふと先ほどの発電おじさん?を探してみると、

つり革につかまりとにかく立つのに精一杯という様子であった。

当たり前だがスマホや貧乏ゆすりをしているような

隙間も余裕もなく、すっかり普通の人の雰囲気に戻っていた。

あまり隙間や余裕があるのも、人によっては良くないのかなと思った。

初詣の出来事

今年の初詣。

近所の神社に行った。

そこは毎年同じような時間帯に参拝しているのだが、

ここ数年はコロナのせいか寂しいくらい人がいなく閑散としていた。

しかし、今年は全く違っていた。

神社の鳥居の外まで参拝者の列が連なりなんとも賑やかになっていた。

ここしばらくお参りするのに待つという事が無かったので

多少は戸惑いもあったが、どこからともなくお囃子の音楽なども

聴こえてきて一気にお正月らしさのある神社となっていた。

 

だいたい家族単位で横並びの列となり、少しづつ前へ進んでいた。

自分の前は5人の家族連れだった。

恐らく40代くらいのお父さんとお母さん、中学生くらいの娘たち。

反抗期に差し掛かる年代かとは思うが、お正月のせいか

もとから仲良し家族なのか、彼らはとてもなごやかな雰囲気を醸し出していた。

お父さんと娘たちは前日見た紅白歌合戦の話をしていた。

そして、ふと話の途中で突然お父さんがダンスをし始めた。

話の流れとダンスから紅白にも出場した「新しい学校のリーダーズ

の首振りダンス。

わりと流行った振り付けだったので自分も知っていた。

お父さんはとても上手であった。

すると娘も父親に合わせて踊り始めた。

とても自然な流れであった。

恐らく家でもそんな感じなのだろう。

彼らの家での雰囲気が浮かんできた。

 

自分の家ではあまり父親と会話する事もなく、

ダンスをする雰囲気も無かった。

特別厳格な家ではなかったが父親が踊り出した事も無く、

父親に合わせて踊りたいと考えた事も無かった。

 

父親とダンスを踊りたかったという事を言いたいわけではなく、

参拝の待ち時間についつい親娘で首振りダンス。

そんな他人の家庭の風景がこんなに第三者である自分

の記憶に残るのはなんとも不思議に感じたのである。

新年早々幸せのお裾分けをいただいた気分であった。