「邯鄲の夢」
唐の時代、盧生(ろせい)という立身出世を志す貧乏な青年が、邯鄲の町で不思議な枕を借りてうたた寝をしました。彼は50年余りの成功に満ちた人生を送りますが、それはすべて夢でした。もちろん現実には何一つ変わっておらず、それは炊きかけの粟(あわ)がまだ煮えないほどの、短い間の出来事であった、という話です。
(※これはネット記事の丸コピーです。)
もし、今自分の理想の人生があって、盧生のようにその理想の人生が
うたた寝の間に全て見る事ができたなら。
自分は同じ理想の人生を目覚めた後に繰り返し送りたいと思うだろうか?
人生は折々、選択肢が生じる。
転職するかしないか、結婚するかしないか、勉強するかしないか。
日々選択の連続ともいえる。
もしあの時転職していなかったら、結婚していなかったら、勉強・・
イーロンマスクがかつて「自分達は宇宙人が作った動物園の中で
活きている」「この宇宙は全てシュミレーションなのである」
と言っていたが、もしそうなのであれば、あの時転職していなかったら、
あの時別の人と結婚していなかったら・・・
その先の人生が別に存在しているのかもしれないという事だ。
もしかしたら今自分が生きているこの世界も選択肢の続きの一つ
なのかもしれない。
どこかで完璧で優等生で失敗の無い人生を送ってくれている自分が
いると考えると、この自分の人生は多少失敗しても世間的な成功
ではなく自分的に満足できる人生を送るのもアリなのかなと
考えた日曜の朝であった。