suzume blog

Pythonを勉強中です。日々雑多なことを書いています。

はずれ時間

確か一昨日の日本経済新聞の朝刊。

今、テレビや仕事や家事や音楽を聴きながらの

「ながらスマホ」が増えている、という記事があった。

若い人からお年寄りまで。。

みな大切な自分の時間を少しでも無駄にしたくない、

「はずれ時間」を作りたくないから、常にスマホを片手

にすきま時間が出来たら操作するとのこと。。。

 

なるほどな、と思った。

確かに今のスマホは何でもできてしまう。

娯楽だけでなく仕事も社会貢献も世界への情報発信まで。

なるほどな、とは思ったが、でも心にモヤモヤしたものが残った。

残ったまま3日経ったのでモヤモヤの理由を考えてみようと思う。

 

まず、別にスマホでなくても良いのでは、と思った。

この前、久しぶりに録画ではなく通常の放送のドラマを見たのだが、

途中でCMが入り、録画分であれば早送り等で削除できるのであるが

通常の放送ではそうはいかず時間が余る。

その時間に自分は家事をした。

でもCMは長いようでいて微妙に短く、CMのたびに何度か分断しながら

家事をした。

家事をしなければたまるだけなので、スマホを見ようという選択肢は

自分にはなかったのだが、

みな家事はどのような時にしているのだろうかとふと思った。

CM時間こそ家事にぴったり。

少し労働し、すぐにご褒美(ドラマの続き)がもらえ、

その繰り返しでなんとなく家事が終わる。

なかなか素敵なシステムだと自分は思うのであるが。

 

スマホはネット?クラウド?上の中での世界で、もちろんそこにリアル

もあるとは思うのであるが、実際汗を掻いたり、茶碗を洗ったり、

ゴミを出したり、そういう現実的な作業は発生せず、指と脳みそで

全てが完結する世界。

 

使わないとその能力、そのもの自体が退化すると聞いたことがある。

目を使わないと目が小さくなる、とも聞いたことがあるのだが、

それと同じでリアルな作業をしていないと、頭では理解していても

その作業を行う能力は退化すると思われる。

もし極端な話、このまま指と脳みそだけで全てが事足りる世界が

進んでいったら、人間はもう人間の姿を保てないでのはないかと

SF的なことも考えてしまう。

もしかしたら、将来、人間は脳みそしか残らないかもしれない。。

 

でも、これはSFではなくリアルな未来の姿のような気がして

ならないのは自分だけだろうか。

 

この前通勤の時、スマホを忘れ、本も忘れ(自分は必ず通勤で紙の

本を持っていく)た時にやることがなくて電車の乗客を眺めていたら、

ほとんどの人は寝るかスマホを見ている事に気が付いた。

きっと、みんな気が付いている光景だとは思うがなんというか

みな自分の世界に入っている光景は異様に感じた。

もちろんみな、それぞれの時間であるし何をしても良いのであるが、

他者に興味を持たない、自分の世界に没入する、情報の嵐に飲まれる

ためにスマホほどぴったりな存在は無いのだろうな、と思った。

 

スマホは便利だし、はずれ時間を作らないためにうまく使えば

自分の時間を有効に使い、自分の時間の密度を上げることができる存在

であるとは思う。

でも、自分はスマホを何かの検索で使うと、ついつい気になるニュース

を見てしまったり、意味なくSNSを確認したり、結局、はずれ時間を

作ってしまう。

 

そんなことから、明確な目的意識や意志の強さが無いと、

スマホを使うのではなく使われてしまう、自分の時間を奪われてしまう

という危機感がある。

だから、はずれ時間を持たないための「ながらスマホ」と書いてある

記事にモヤモヤしたものを感じたのだと思う。

 

スマホを使用することにより「はずれ時間」が知らぬ間に増える恐れ

がある人は逆に「ながらスマホ」は危険ではないのかなと思うのである。