suzume blog

Pythonを勉強中です。日々雑多なことを書いています。

どこから見るか

先日、本屋さんで立ち読みをした本がとても衝撃的だった。

本の題名は忘れてしまったし、まだ最初の方しか読んでは

いなかったので最終的にどんな内容だったのかは分からない

のであるが、たぶん作者の意図とは違うところで、ものすごく

衝撃を受けたのである。

 

小説の背景となっている国も忘れてしまったのであるが、

たぶんラテンアメリカとかブラジルとかメキシコとか、

その辺りだったと思う。

そんな細かい話はどうでもよくて、主人公には兄がいて

生活のために海外に出国しようとしたのであるが、

そこでは海外に出るには麻薬密売人に頼るというルールがあり、

でも麻薬密売人に関わることなく出国しようとした彼は

その麻薬密売人の組織に惨殺されて発見された、という内容だった。

その描写がものすごくて、目をえぐられ舌を切断され、身体の

関節部分を全て切断される・・・というどこを想像しても痛くて

トラウマになりそうな描写で。記憶力が悪い自分もそこの部分

だけは全て記憶に残ってしまった。

 

なんというか、もともと麻薬組織にいた人が足を洗いたいから

組織からひどい扱いを受ける、というのなら分からなくもない

のであるが、その兄は一般人でむしろ、麻薬組織に関わりたく

ないために彼ら以外のルートで海外に出ようとしたところ、

まさしく見せしめでそのような殺され方をされてしまったのだ。

 

もちろんこれは小説の話でどこまで現実にあるのかは分からない

のであるが、でも恐らく全くすべてが作り話、ということではない

と思われる。

もしかしたら、もっと残酷なこともこの世界のどこかでは起きている

のかもしれない。

ただ、自分が知らないだけなのだ。

恐らく、小説のように普通の人が正しく生きようとしているのに、

それを平然と否定する存在がこの世界には存在する。

 

日本にいると平和ボケしてしまいやすいのであるが、でも少し

世界に目を向けてみると、各地でまだ悲惨な戦いやテロ、不条理な

差別やその他もろもろの問題は今現在も起っているわけで。

日本という比較的豊かで平和で守られた国に生まれてからずっと

生きていると、どれほど自分が恵まれた環境で暮らしているのか、

うっかり忘れてしまいがちである。

そして「あるもの」の有難さには目を向けず「無いもの」にばかり

気を取られ、その「無いもの」を探しをしながら日々を過ごしている。

「無いもの」なんていくらでもあるのに、その現実に目を向けず、

ひたすら「無いもの」ばかりを追い求める。

自分の求める美のために、ひたすら整形を繰り返す人に似ている。

そして気が付いた時には色々なものを失っているのだ。

 

人生はどうしても惰性の中で流されやすくて、つい自分の日常が

自分の考えが当たり前と感じて、自分がどれほど恵まれた存在なのか

忘れがちなのであるが、主人公の兄のように正しい方法で海外に出る

ことすら許されず殺害されてしまう人生から見てみると、日本で暮らせる

ということは天国に住んでいるようなものなのだとつくづく思う。

 

何を当たり前と考えるか。

どこから自分を見るのか。

 

もっと大きな視点で自分をとらえ、「無いもの」ではなく「あるもの」

にもっと注目し、感謝する。

「当たり前」のことは本当はちっとも「当たり前」ではなくて、

違う国の人から見たら、日本は天国で暮らしているにようなものなのだ。

そういうことに気付くこと。そういう視点を意識して持つこと。

まずは自分から変わらなくては、と考えさせられたのである。