suzume blog

Pythonを勉強中です。日々雑多なことを書いています。

パラリンピックの児童観戦について

今日は有休だった。

だから、というわけでもないが時間があり夕食前にニュースを

見ていると、たまたまパラリンピックを観戦した小学生の子達の

インタビューが流れていた。

みな当たり障りのないことを話しており、

「今の子供たちは大人みたいな意見を言うんだな・・」

と驚いていたのであるが、その中で最後にインタビューを受けた

小学六年生の女の子の意見がやたら心に残った。

「そういう人たちが、一生懸命頑張っている姿を見て・・・」

というようなことを言っていたのであるが、なんだかすごく

嫌な気持ちになった。

「そういう人たち」という発言は確かに間違ってはいないのであるが、

「障害を持つ人たち」という言葉に置き換えることはできなかった

のであろうか。。

子供ながらにすごく上から目線で、嫌な大人の縮図のような印象を受けた。

そのニュースでは「この時期でもあえて児童を引率しパラリンピック

観戦させるという教育的意義」を果たしたことに言葉が悪いが酔いしれる

先生のインタビューもあったのであるが、そのパラリンピックを見た

子供が障害を持つ選手たちを「そういう人たち」と呼んでいることに

対して何の疑問も持たないのであろうか。。

普段、障害者とかかわりを積極的に持つわけでもなく、ただ国の行事、

成果のためだけにこのコロナの中でパラリンピックを見せることに

何の教育的意義があるのか理解できない。

「そういう人たち」と発言した女の子はただ一日パラリンピック

観戦をしただけでは意識は変わることはなくて、それは彼女を取り巻く

大人達の頭の中の縮図なのである。

そんなに障害者に対する理解を深めたいのであれば学校はその子達の

親も含めて再教育を行うべきなのである。