suzume blog

Pythonを勉強中です。日々雑多なことを書いています。

神頼みの時期

だいぶ前だが神頼みをしている時期があった。

突然、多方面で仕事が大変になり上手くいかない事が増えたのだ。

それまで普通にこなせていたことが、何かに祟られているのか

と思えるくらい支障が生じ始めたのである。

そんな状態がしばらく続き、もし本当に神様がいるのであれば、

神様に縋ってでもこの状態を終わらせたいと思えるほど

精神的に追い込まれていた時期であった。

自分は無宗教派で、もし神様が存在するのであれば世界の矛盾を

問いただしたいと思っていたくらいであった。

それでもその時期は自分でもおかしいと思えるくらい

神様に縋っていたのは間違いない。

ある有名な厄除の神社に行って、厄除け祈願をしてお札を買い、

厄除けに効果があるという小さな数珠のストラップまで購入し

持ち歩いていた。

 

厄除けの効果が無いのか自分の信心が足りなかったのかは

不明であるが、不運の時期はしばらく続いた。

その間はお札やストラップは会社のカバンにも入れて持ち歩いて

いた。

そして、だいぶ経って状況が少しづつ落ち着いていった。

劇的に何かがあった、という訳でもなく、ただ時の流れとともに

少しづつあるべき場所にそれぞれが収まっていったという

イメージに近いと思う。

そしてある日久しぶりにストラップを眺めてみると袋の中で数珠が

いくつか欠けて壊れていた。(自分は無精なので当初商品が入った

袋のままストラップを外に出さずに持ち歩いていた)

なんとなく縁起が良くないのかなと思い、当初の神社に行き

そのストラップを買った売店で店番のお爺さんに割れた数珠

を見てもらい新しいものを買いたい旨を伝えた。

お爺さんは割れた数珠をじっくりと見てから

「だいぶお疲れですね」

と言い、新しいものを出してくれた。

 

その時は数珠が自分の悪いものを吸い取ってくれたため

「だいぶお疲れ」の状態となって割れてしまったのだ、

と判断した。

 

でも今になってその言葉を考えてみると

あれは自分に向けて言った言葉のようにも思える。

自分が疲れて見える、というよりは数珠が割れたために

慌ててやってきた自分の精神状態に対して

「だいぶお疲れですね」と言ったようにも思える。

 

どちらにしろその時は本当に疲れていた時期であった。

その数珠の効果か分からないが、不運の神頼みの時期は

それからしばらくして去っていった。

部屋の窓からちょうど、お向かいさんの屋根に取り付けられている

アンテナが見える。

そしてたびたびそのアンテナに鳩がとまる。

デーデーポッポー・・・

この歌が聞こえてきたなと思ったら、だいたいそのアンテナに

鳩がとまって歌っている。

意識して観察してみたら、朝と夕方の2回きて歌っているようだ。

自分は鳩の歌が好きなので、その歌が聞こえてくると

仕事の最中でもつい耳を澄ませて聞いてみたり、

気が向けばアンテナの方を見て鳩の姿を確認したりする。

鳩はそんな自分の視線に気づいているのかいないのか、

よく分からないのだけれど、とにかく最後のフレーズまで

歌って去っていく。

昨日の朝、カーテンを開けて外を見ていると、鳩がとまっていた。

歌う直前だったのか、何かベストなタイミングを考えていたのか

詳細は不明であるが、鳩はこちらの方を向いてとまっていた。

 

せっかくだから歌うまで見ていようと思い、じりじり待ってみるものの

人間からのプレツシャーを感じているのか鳩は歌いださない。

でも間違いなく顔も身体も自分の方を向いているので、自分の存在を

警戒していたのかもしれない。

鳩的には人間ではなく鳩に対して歌っているのだから

まあそれも当たり前かとは思ったが、それでも何となくお互い

見つめ合いながら数秒間が過ぎた。

突然、別の家の軒下から大きな影が現れて、少し大きめの鳩が

自分と鳩の間を飛び去っていった。

その鳩は別に危害を加えるでもなく、ただ別の方向へ飛んで行っただけ

なのであるが、

でも、じりじり見つめ合っていた我々の死角にいたのは間違いない。

自分も驚いたが、鳩もビクッとなっていたのが見えた。

どんなに鳩が好きでも言葉も何も共有できないし、

気持ちも共有できないと理解してはいるものの、

この時ばかりは間違いなく「驚く」という感情を共有できた

と感じられて、なんだか嬉しくなった。

よくある会社帰りの風景。

会社から駅までの間に何度か横断歩道を通る。

かなり長いものもあって、その長さの割には赤信号になるまでに

あまり時間が無く、みな足早に渡っていく。

ある小雨が降りそうな天気の帰り道。

みな雨が降り出す前に駅に辿り着こうといつも以上に早足だった。

信号がもう少しで赤になりそうだったが自分含めてかなりの人が

横断歩道を渡り始めた。

案の定、途中で信号がチカチカ点滅し始めた。

そこで一気にみな小走りとなった。

自分も珍しくダッシュを切った。

その時、前から犬を連れた人が同じように小走りで向かってきた。

犬種は分からないが可愛い中型犬だった。

通勤途中で出会う犬はかなりの癒しの存在である。

犬の横を通り過ぎた頃、視界の隅で少し後ろを歩いていた男性も

一気にダッシュを切った。

と思ったその瞬間。

その男性に向かってそれまで静かだった犬が吠え始めた。

何かが犬の気にさわったのかもしれない。

でも他の人がダッシュするのには無反応だった犬が

その男性だけには何故か反応したのだ。

彼のダッシュが犬的に脅威を感じるスピードだったのかもしれない。

何となく振り返ってみると、吠えられた男性は傷ついたような

不本意な顔をしていたのが分かった。

君はなぜ自分にだけ(吠える?)。

そんな彼のボヤキが伝わってきた気がする。

すごくその気持ち分かるよ。

心の中で彼にそう言った。

背筋

朝、いつも見かける風景。

地下鉄の駅を降りて売店前で手櫛で髪を整えるおばあさん。

正確に言うと、売店のあった場所で手櫛で髪を整える高齢の女性。

高齢とは言え働いているのであろうか。

毎朝同じ車両から降りてきて、足早に改札へと向かう。

歩くのが遅い自分はいつも追い越されてしまう。

高齢のせいか背筋が曲がっていて、たぶん地面を見ながら歩くくらい。

それでも、どこかの目的地に向かって、毎朝両手を振りながら足早に

歩いていく。

何気なく毎朝自分を追い越していくおばあさんを眺めていたが

ある時、一瞬自分の視界から消える事に気が付いた。

別の出口なのかと思ったが、少しするとまた足早に出現する。

これはいったいどういう事だろうと、視界でおばあさんの動きを

追ってみると、コロナ前まで売店があった場所で手櫛で髪を

整えていた。

今まで、売店があったので隠れていたかもしれないが、

売店が無くなった今は丸見えの状態だ。

それでも、そんな事はおかまいなしに、手早く髪を手で

整えている。

もしかしたら数十年そのようにしてきたのかもしれない。

とても自然で大切な出勤前の朝の儀式。

そんな風に見受けられた。

そして数秒のその儀式が終わると、何事もなかったかのように

もといた場所に向かって足早に歩いていき、

近くの出口へと歩み去っていった。

ほんの少し、先ほど見た時よりも背筋がシャンと伸びていた。

 

ハンカチ

今年、長く一緒に働いた同僚が転職していった。

その同僚とは恐らく定年まで一緒に過ごすと考えていたので

すごく残念だったが、本人の意思によるものであるのだし精一杯の

気持ちで送り出そうと考えた。

やったことといえば、大したことはなく普通に仲良いメンバーでの

送別会を開いたのと個人的に送別の品を送ったくらい。

色々考えて、結局貰ってもそこまで迷惑ではないと思われたタオルハンカチ

を送る事にした。

タオルハンカチといっても一枚2000円以上するそこそこ良いブランドの品。

買う前にその人のイメージを思い、かなり悩んだあげく一枚を選んだ。

とても大人で頭の良い人、という自分とは正反対のタイプのその人に

グリーンベースのものを選んだ。

そのタオルハンカチが新しい職場で元同僚を少しでも守ってくれるといいな、

とそんな願いもひそやかに込めて選んだ。

今でも我ながら良い物を選んだと思う。

 

それからしばらく経って、この前久しぶりに前のメンバーで飲み会をした。

その元同僚は以前と変わらない雰囲気ではあるが、

少し前より大変なのかな、という気がした。

飲み会も終盤になり、元同僚がお手洗いに立つ時にカバンの中から

ハンカチを取り出した。

紛れもなく、自分があげたハンカチだった。

緑のタオルハンカチ。

それを見た瞬間とても嬉しくなった。

自分と元同僚しか知らない物であるし、元同僚も自分があげた物

である事を忘れているかもしれないが。

それでも、誰が何と言おうと嬉しかったのだ。

 

贈り物は貰う以上にあげる方が幸せを貰えるもの、

とはよく言うけれど、これがそういう事なんだなと

しみじみと嚙み締めた一瞬の出来事であった。

流浪地球

自分は小説「三体」の大ファンだ。

大ファンと言っても、全てハードカバーで購入し1回読んだ

きりではあるが、それでもこの本だけは捨てられない。

老後、時間が空いたらまたゆっくり読み直したいと思える本なのだ。

まあ老後の自分はもっと別のものに興味があるかもしれないが、

とにかくそう思えて古本屋に売る気になれない本であるのは

間違いない。

そして、その作者の本が新たに出版された。

新たにといっても中国の作者なので色々タイムラグはあるかも

しれないが、とにかく日本では割と最近の事だと思う。

それを新聞の広告で知った時、久しぶりにテンションが上がった

のを感じた。「流浪地球」と「老神介護」。どちらも面白そうなので

あるがまずは「流浪地球」を読むことにした。

ハードカバーは持ち歩きできないし、値段も高いしハードルが高い

のは間違いないのであるが、自分の中では即購入の一択であった。

 

そしてその本を手に入れた今、毎晩寝る前に一話ずつ読んでいるが、

(一気に読んでしまうのがもったい無いので)やはり面白い。

「三体」と違って「流浪地球」は短編小説が入っているので

それも一話ずつ読むのにちょうど良い。

「三体」に慣れた自分としては、すごく面白い題材が短い話

の中に凝縮されていて、なんだかもったい無い?という気もするので

あるが、あえて長編小説に引き伸ばさない作者の潔さも感じて、

とにかく密度の濃い短編集である。

そんな視点があるのか!と驚かされ、そういう発想を持てる作者を

羨ましくも感じる、という味わい方もできる小説である。

 

文化や芸術、興味、そういう純粋な気持ちは人種や性別、国の違いを

超えて人々を結び付けると思う。そう思える自分はとても幸せな中で

生きているのだと思う。それを自覚し、感謝した上で、今自分が出来る

事を考えたいと思う。

ネギの話

少し前に実家に帰った。

お昼にお蕎麦をごちそうになったのだが、その時に気が付いた事がある。

ネギが白いのだ。

家を出て、自分で料理をするようになって気が付いたのだが、

意外とネギは白い部分が少ない。

特にシャキシャキしている白い部分についてはとても希少価値が高い。

(と自分では感じている)

自分は長ネギなら白い部分が一番好きなのであるが、

それでも白い部分は使い切ってしまっていて、

やむなく緑の部分を使う時もある。

 

でも、思い返せば実家で母親のご飯を食べていた時は冷奴にしても

納豆にしても、付け合わせで出てくるネギは必ず白い部分だった。

しかもシャキシャキの根本に近いとても良い部分。

それを当たり前のように、出してくれていた。

家族の人数から考えたら、もしかしたら母は緑の部分を食べていた

のかもしれない。

全くそんな事に気が付かなかった。

 

そして今回出してくれたお蕎麦の付け合わせのネギも

白くてとてもシャキシャキで。

 

自分で料理をするようになって初めて気付く母の思いやり。

子供には一番美味しいところを食べさせたいという思い。

 

そんな思いに気が付いて、当たり前に食べていた白いネギに

胸が一杯になったのである。