suzume blog

Pythonを勉強中です。日々雑多なことを書いています。

三体を読んで

長かったが、三体、やっと読破しそうである。

しそう、ということなのであと20頁ほどあるが、たぶんこれで

完結するだろう、という流れ。

もしかしたら最後の最後で大どんでん返しがあるかもしれないが

ひとまず今時点での思いを語りあう読書仲間もいないので、ここで

書かせてもらおうと思う。

一言でいうと、「あー、なるほど」という感想。

自分は以前も書いたが宇宙とかそっちの技術、世界観が好きで

宇宙開発推進がこれからの人類とっても正しい方向だと妄信していた。

でも、この作品を読んでその姿勢に疑問を感じるようになった。

そもそも、この広い宇宙に人類以外存在しないと考えること自体が

傲慢であるし、フェルミパラドックスでないけれど、いるのであれば

コンタクトしてくるのが当たり前(=だからいないのである)という

考え方はもしかしたら、とても浅はかで幼稚で自己中心的な、それこそ

人間的な考え方ではないか、という気持ちに変わった。

作品の世界が全て正しいという保証もなにも無いのだけれど、

もしかしたらお互いが相互不干渉であることが、唯一の宇宙のバランス

と平和を守る解決方法なのかもしれない。

人類はエネルギー・食料・資源を好きなだけ使い、それが地球上で枯渇

しそうになってくると、「それなら宇宙に進出していけばいい!!

早い者勝ちだ!!」という短略的な考え方で進歩という名のもとの

宇宙進出を進めているが、でも、もしその誰もいないように見える

宇宙の星が別の存在の大切な住処であったとしたら?

もし、人類には見えていないだけで、そこには別の生態系が存在して

いたとしたら?

地球上の生き物ですら、人類には見えないもの、聞こえない音を見たり

聞いたりする能力がある生物は存在するのだ。

人類がただ感知しない、という理由だけで宇宙の資源を使っていい、という

ことにはならないと思う。

魚は海の中に住み、鳥は空を飛び、泳ぐことも飛ぶ羽も無い人類は地上で

生きれば良いと思う。すごく当たり前のことだ。

人類に無い機能を技術の力で追加して、無理やり宇宙の違う環境の星で

生きるのはあまりにも不自然であると思う。

しかも、その理由が自分達が自分勝手に地球を消耗させて、もう住めなく

なってしまったから、なんて、普通に考えても自分勝手な行為だと思う。

神様が存在するとしたら、決して許してはくれないと思う。

最近、脱炭素、SDGs、等々・・・やっと言葉自体も浸透し始めてきたが

それこそ宇宙開発なんかよりも今人類が一番力を入れるべきことだと思う。

SDGsと同じラインで語るのは良くないような気もするが、NWOの考え方

も地球を正しく守るためにはやむなしの理念なのではないかな、とも思う。

まさか「三体」を読むまでは、ここまで自分が反宇宙開発推進派になる

とは思わなかった。

これからも宇宙開発の波は避けては通れないかもしれないが、できたら

全ての人に「三体」を読んで、宇宙開発に対するリスクについて、

一度自分の頭で考えてもらいたいと思う。

 繰り返しになるが、作品の世界が全て正しいという保証もなにも無い

のだけれど、逆にいえば作品の世界が全てフィクションであるという

保証も無いのである。